戦後大衆文化論
《人形の変容−位相の広がりと愛玩の移り変わり−》
はじめに
記憶の残る1960年代と現在を比較すると、日常で目にする人形の種類と数が圧倒的に増
えたことに気づく。‘60年代前半に女児のいる一般家庭において見られた人形といえば、年
に一度飾られる雛人形は別として、寝かせると目を閉じるカール人形くらいのものであった。
それから約40年、結婚・出産を経て二女一男が成人まぢかの現在、核家族である我が家に
ある人形の総数は50体を軽く超えるのではないだろうか。そして、その大部分は高校生の息
子のものである。
かつて人形といえば女児のものという社会的な認識があった。実際には男女混じっての雑
多な遊びの記憶があるにもかかわらず、女児は人形やままごとで遊ぶもの、男児は乗り物
や武器類を模したおもちゃが好きという一般的な暗黙の了解があった。このような人形にま
つわるかつての社会認識と、現在の状況には大きなずれがある。この変化はどこからくるの
だろう。
さまざまなキャラクターをかたどったフィギュアがブームと言われて久しい。現在Web上で
は、さまざまな人形愛好者のサイトを数多く見ることができる。例えば、2000年2月に開設さ
れた”Doll Circus”という名の人形関連サイト検索ページには、2003年11月現在、実に2.154
のサイトが登録され、アクセス数は180万を超える(註1)。
過去にも人形がブームと言われた時期はあった。しかしそれらはビスクドールなど骨董品
の扱い、あるいはハンス・ベルメールの流れを汲む四谷シモンの人形など芸術の一分野とし
てのブームであり、一般の人々は受容するのみの存在であった。
現在の人形ブームはそれらとは一線を画し、大衆文化としての市民権を獲得しているよう
に思われる。人々は自らも表現者となって発信し、人形を新たなコミュニケーション手段の媒
介者として捉えているようである。ひとのかたちをした人形という、古くて新しい存在の過去と
現在を考察し、そこに映し出された戦後大衆文化の行方を追いたいと思う。
なお、日本語の「人形」という言葉は定義が難しい。「ひとのかたち」と書いて人形と読むに
もかかわらず、私たちは「犬の人形」などと矛盾した使い方もするのである。この論文では、
あくまで人形を「ひとのかたち」と捉え、動物のぬいぐるみなどは考察外とした。逆に「ひとの
かたち」をとるものであれば、大きさにはこだわらず一律に人形と捉えた。
1950年代までの人形の概観
日本は世界有数の「人形大国」といわれる。わが国における人形の起源は、縄文・弥生の
土偶にまで遡る。続いて古墳時代の埴輪、平安中期からの「おしらさま」や「ひとがた」、また
新生児の無事息災を願う「天児−あまがつ」や「這子―ほうこ」などを挙げることが出来る
が、これらはいずれも民間信仰や呪術と結びついていた。一方、玩具としての人形も古くか
ら見られ、『源氏物語』には、平安貴族の子どもが「ひひな」と呼ばれる男女一対の小さな人
形で、ままごと遊びをする様子が書かれている。
「ひひな」は江戸時代にはいって雛人形として飾られるようになり、やがて多くの観賞用人
形が作られるようになった。御所人形、衣装人形、木目込人形などである。浄瑠璃の繰り人
形や、見世物興行されたからくり人形は、衣装人形の一種として盛んに作られた。また泰平
の続く江戸時代には、着せ替えのできる市松人形も登場した。市松人形は明治維新を経て
昭和戦前まで、髪型や衣装を変えながら長く女児に愛玩された(註2)。
玩具および鑑賞の対象として人々の日常になじみの深い人形であるが、重要な社会的役
割を果たすこともあった。まず人形は、戦前戦後を通し日本の重要輸出品目のひとつであっ
た。大正期の1916年には早くも輸出用眠り人形の製造工場ができ、躍進を遂げた昭和初期
にはセルロイド製のキューピー人形が輸出された。また人形は戦争とも無縁ではなかった。
日米関係が対立に向かった1927年、相互文化理解と国際親善をめざして行なわれた「青い
目の人形」と「答礼人形」の交流は、人形が国際的に大きな役割を背負った一大イベントだ
った。それらの人形に託された平和の願いもむなしく、日本は長い戦争をくぐりぬけ1945年
終戦を迎える。人形は再び輸出品として戦後日本の復興に寄与した。
このように、戦後日本の復興期において人形は作られていたが、日本の子供たちが買って
もらえるようになるのはまだまだ先のことだった。1950年代前半に一般的だったのは大正期
から続く布製の文化人形で、当時の子どもの写真にはこれを背負う姿が多く見られる。
高度経済成長とキャラクター人形の登場
朝鮮戦争による特需景気、「もはや戦後ではない」と謳われた’50年代を経て、日本は高
度経済成長の’60年代に入る。カラーテレビ放送開始、レジャーブームと、人々の暮らしが
急速に豊かになる’60年代中頃に、人形の世界にも大きな変化があった。それはキャラクタ
ー人形の誕生であり、それは同時に男児による人形愛好の一般化が始まったことでもあっ
た。
1964年に登場した「鉄腕アトム」は、ロボットという設定ではあるが「ひとのかたち」をとり、
充分に感情移入できるものであった。また’60年代後半にはGIジョーが登場した。こちらはロ
ボットではなく完全な人間の形態をとり、各国の軍服姿で各種の武器を携えていた。服を着
せ替え、小物でごっこ遊びをするという要素は、同時期にアメリカから入ってきたバービーな
どのファッション人形と全く同じである。ただし、ごっこ遊びの部分が主に戦闘場面に想定さ
れていたことにおいては、旧来の社会概念がそのまま反映されていたと言えよう。
「鉄腕アトム」に始まる人間に近いロボット人形は、その後変身サイボーグ、ウルトラマン、
ガンダムなど、70年代から90年代を通して常に人気をはくし今につながる。そのなかのある
ものは変形や組み換えが可能な玩具として、またあるものはプラモデルキットとして普及した
が、自らの手を加える、あるいは自分の手で作り上げるという楽しみ方の定着に貢献した点
で特に重要性をもつと思われる。自らの手を加えるという行為は他からの限定がなく、各自
の能力に応じての楽しみ方が可能であることから、愛好者の年齢層を広げる大きな要因に
なったと考えられるからである(註3)。
またGIジョーは、現在12インチフィギュア(註4)と呼ばれ人気を誇る人形の元祖となった。こ
のように、日本における男児の人形愛好は、1960年代中期に生まれたキャラクター商品を
介して始まった。ここにおいて、人形は、その位相を格段と広げたと言えるだろう。
人形愛好者のさらなる拡大
‘60年代の終わり、ついにGNP世界第2位となった日本は、徐々に大量生産・大量消費の
社会へと移行した。’70年代を経て戦後がますます遠ざかり、あふれるモノに取り囲まれた
状態が当然となった’80年代、人々の価値観はさまざまに変容し、その一端として現れたの
がオタク文化である。「おたく」という語の捉え方は人それぞれであり定義は難しいが、社会
や世間の価値観よりも自分の世界と価値観を重視し、それに合わせた生き方をする人々を
指す言葉のように思われる。「80年代の高度消費社会では、必要以上の豊かさが生きるた
めの労力を軽くし、生活を重視する必然性がなくなった。価値観は多様化し、肥大した。そう
して、同じ価値観を持つ人どうしの<場>ができていった(註5)」
当初は否定的に使われることも多かった「おたく」という言葉だが、その概念は’90年代に
入り普遍化し、拡散していった。マンガ、アニメ、テレビゲームという「おたく」に関係の深い分
野が異端視されなくなり、それどころか現在では日本が世界に誇る文化として輸出され続け
ている。次の一説は、子ども調査研究所所長の高山英男の指摘である。
あらゆる分野でボーダーレス化が進行し、子供文化と大人文化の境界が不鮮明になって
いる。マンガ文化、アニメ文化、テレビゲーム文化の三つの大衆文化は、本来は小・中学生
を中心とする子供文化として成立し、発展してきた。ところが、1990年代になってそれらの文
化は高校生以上のヤング・アダルト層が楽しむ文化に変質してしまった。子供文化は、その
成熟と共に大人たちに乗っ取られてしまったということができよう。(註6)
ここで気づくのは、上に挙げられたマンガ、アニメ、テレビゲームの三大大衆文化は、現在
においてすべて人形化されているということである。「フィギュア」と呼ばれる一群の人形がそ
れであり、’90年代中頃に人気を高めた。この人気の理由は、マンガ、アニメ、テレビゲーム
という二次元空間で親しまれたキャラクターが三次元に立体化され、実際に自分の手で触れ
ることができることの魅力にある。「直接見て、触って確かめ、思いを込めることは他の媒体
では味わえない(註7)」ということだ。
精巧に再現のキャラクター人形「フィギュア」に大人も夢中 幼少期の願望実現
(読売新聞、大阪夕刊、1998.6.27)
オジさんも人形大好き アニメ・映画・キャラクター再現した「フィギュア」が人気
(読売新聞、東京夕刊、1998.5.2)
若者を癒す人形 等身大まで登場 フィギュアブームの背景
(共同通信、1999.7.13)
90年代後半、全国紙記事の見出しにこのようなものが見られるようになった。ここにおいて
も、「大人」、「オジさん」、「若者」という言葉に、「本来は人形とは無関係である」という旧来
の社会認識を垣間見ることができる。
この「フィギュア」ブームの背景に’60年代のキャラクター人形があるという、関係者の指摘
は興味深い。つまり、フィギュアを好んで購入する若者は、幼少時からキャラクター人形に囲
まれて育ったので、そのような人形(ひとがた)に抵抗や偏見がないというのだ。また、成人男
性が幼少時の願望を現在において満たしているという意見もある。この指摘は、’60年代に
はまだ貧富の差が歴然とあり、欲しくても買ってもらえない子どもがいたという現実を反映し
てもいる。
人形愛好者の年齢層が広がるという現象は、成人男性によるフィギュア愛好ばかりではな
い。
「バービー人形」再ブーム 大人のコレクター急増 (読売新聞、1996.8.28))
30年前に流行したバービー人形が、再びブームの様相を見せている。百貨店で開かれ
たバービーの展覧会には、約二週間で二万人が足を運び、大人のファンが続々とコレク
ターズクラブに加わってきた。人形本体と関連商品の売れ行きも、好調という。
発売元のマテル社(港区赤坂)は、「着せ替え遊びの子どもたちが中心だった60年代と
違い、今は大人の愛好者がグンと増えている。当時の少女が大人になり、再びこの人形
を楽しんでいるようです」と話す。
このように、キャラクター人形とともに’60年代の子どもの人気の的であったファッション人
形もまた、’90年代にファン層を広げた。フィギュアブームとファッション人形リバイバルブー
ムは、根底に共通性があるようだ。長年、人形にまつわる少女民俗学を研究する増渕宗一
も、著書の中で「泣いてわめいてねだっても到底買ってもらえなかった<羨望と嫉妬>のリカ
ちゃん世代」について触れている(註8)。
数あるファッション人形のなかでも、バービー人形は特に、まだ貧しかった日本の少女たち
にとって、豊かなアメリカへの憧れの象徴でもあった。バービーを懐かしむという行為は同時
にまた、その頃の日本と自分を懐かしむという行為でもあり、その裏には30年間であまりに
も変わってしまった日本社会への不安も秘めていると考えられないだろうか。
この時すでにバブルは崩壊し、日本は長く先の見えない不況の入り口にいた。
人形愛好の現在の状況
‘90年代にブームを呼びファン層を拡大した人形の人気は、決して一過性のものではなか
った。フィギュア人気は2003年現在でもいまだ衰えていない。また、ここ3,4年ほどは、男性
のものというイメージがあったフィギュアから新たにドールという分野が独立し、女性ファンも
急増している。ドールとは字義通り人形であるが、新たな意味づけをされた言葉として機能し
ているようだ。
前章で、人形愛好の広がりにおける’80年代オタク文化の影響を述べたが、フィギュアのモ
デルとしてのマンガ、アニメ、テレビゲームの他にも、大きく引き継いだものがある。それは、
イベントといわれる<場>である。現在、全国で人形愛好者のための大小のイベントが定期
的に開かれている。そこでは愛好者が個人または団体でブースを借りて出店し、自作の人
形や服や小物を販売することができる。この形態はまさしく「オタク文化」の象徴コミックマー
ケット、通称コミケそのものなのである。「ドールショウ」、「ドールズ・パーティー」などの名で、
大きなものは人形を企画販売する企業の主催により東京ビックサイトや幕張メッセなどで開
催される。そこは企業の新作発表と即売の場であるとともに、愛好者自らの発信の場、また
彼等同士の自由なコミュニケーションの場であり、価値観を共有する集団の祝祭空間ともな
っている。
また、これらのイベント形態とともに、現代の人形人気を支えているものにインターネットを
挙げることができる。冒頭に紹介した”Doll Circus”に登録されたサイトの数々からは、「人
形」と呼ばれるジャンルの細分化と、それぞれに定着しつつある価値観の分化が伺えて興味
深い。サイトの多くに共通する内容は、自分の所有する人形の紹介、自作の人形用ドレスや
小物の紹介、また特定の人形について自分がもつ知識の披露などである。
売られているものをそのまま買うだけでは物足りず、自分もそこに何らかの表現を付け加
えたいという欲求をもつ愛好者も増加している。球体関節人形を作る人形作家四谷シモン等
の人形創作教室に実際通う人たちも増えているが、全体から見ればわずかである。自分で
一から作ることまではできないが、という人々のために、フィギュアメーカーがさまざまなキッ
トを発売する。ヘッド(頭部)、可動素体(手足の関節を曲げてポーズを付けることのできる頭
部以外の身体)、ドールアイ(眼球)、ヘアーなどが各種の形態と色彩で揃い、購入者はそれ
ぞれを選び自分で組み立てるようになっている。メイクに使う塗料も、人形専用として商品化
されている。そのようにして自分の好みで人形を作り上げることは、「カスタマイズする」と言
われるようである。
受容するのみでなく自らの手を加えるという行為、とりわけ服や小物を作るのではなく人形
そのものに手を加え作り上げるという行為は、戦後日本を通して、対象を変えつつも持続し
ていたプラモデルブームの延長上にあるとも考えられるだろう。
一方、あらゆる分野でボーダーレス化が進行したという現代の風潮は、年齢のみでなく性
差にも現れたと言える。’60年代には明確であった、「ウルトラマン人形は男の子の物、リカ
ちゃんは女の子の物」というような区別は社会概念として残ってはいるが、実際は境界がなく
なってきている。成人男性がバービー人形を蒐集していても、むしろ好意的に受け取られる
ようである。
しかし、これらオタク文化の流れを汲む現代の人形にまつわる状況には、ジェンダーフリー
とは言えない一面も残されている。個人の表現の自由を過度に謳歌し、主にロリコンと呼ば
れる性的内容に走る者が多いことだ。人形が「ひとのかたち」をしたものであることがここで
も大きく作用していると思われるが、性の商品化のような表現を与えられた人形を目にする
ことは心が痛むことである。なお、これらいわゆるロリコン趣味と呼ばれる一連の表現に日
本社会が比較的寛容であることは、海外からも指摘されている(註9)。
まとめ−愛玩の変容
前章で、‘60年代には考えられもしなかった21世紀初頭の日本における人形文化を概観し
たが、そのなかで気づいたことを挙げたい。旧来の日本社会では、人形に、外形の身体だ
けでなく魂までを見る傾向が強かった。井上章一の『人形の誘惑』には、初期の輸入マネキ
ンが寝台車や人力車で運ばれたエピソードがつづられている(註10)。また人形供養や、マ
ネキンがまだ燃える紙製だったころに行なわれたマネキン供養などは、日本独自の風習で
あるが、これも人間と同じように最後まで丁寧に葬るという意味があったと思われる。
それに対し現代の人形愛好者は、人形を「モノ」と捉える傾向が強いのではないだろうか。
愛好者同士がネット上で人形を売買する掲示板を見ると、「お譲りするのはヘッドのみになり
ます」といったような記述が見られる。頭部のみを売買し、自分の手持ちの身体に装着する
といった行為は、手垢にまみれた文化人形を肌身離さず可愛がるという昭和30年代の風景
から本当に遠く隔たった感を受ける。人間の各部位もある程度は交換可能になった、医学
の急激な進歩も反映しているのだろうか。「カスタマイズする」という行為には、ヘアダイおよ
びピアスやタトゥーなどの身体加工が若者を中心に浸透し、その究極ともいえる整形手術ま
でもが一般化したという社会の変化が見てとれるような気がするのだ。
現代に顕著なもうひとつの傾向は「蒐集」である。特定の人形を自分ひとりで100体、200体
ともつ人、夫婦で1.000体以上を所有するケースなど、それほどまでの数を所有していたら、
どのように一体ずつに愛情が注げるのだろうかと思われてしまう。ここに「メル友」やかつて
のプリクラ蒐集などに見られる、浅く広く人間関係を築く現代の若者の傾向を見てとることは
曲解であろうか。
しかし、これらは、あくまで人形の愛玩のひとつの形なのである。人形を大事にしないという
ことでは決してなく、愛玩の内実が変容したということであろう。
一人が所有する人形の総数が圧倒的に増えたことについては、別の面で気づいたことも
関係すると思われる。それは、この50年ほどで、人形の値段そのものは変わっていないとい
うことである。1954年に売り出された「ミルク飲み人形」は、服、哺乳ビン、おしめなどがセット
で1200円から2350円、1957年のカール人形は800円から3000円まで数種類あったという(註
11)。また1970年頃のGIジョーが1000円から2000円、リカちゃん及びリカちゃんのママ人形が
800円から1300円であった(註12)。2003年現在でも、子ども向けのファッション人形は、やは
り1000円〜3000円前後が多い(註13)。
1954年には、パートの時給は50円から90円だったそうである(註14)。値段そのものが変わ
らないということは、当時、人形は現在の10倍以上高価なものだったということになる。ひと
つの人形を大事にする、それに対し何十体、何百体と買い集める、という行為の違いは社会
の風潮のせいばかりでもなく、人形が安く入手できるようになったことも大きく関係していると
言える。
人形は、かつて、与えられるものであった。人形が子どものものであった頃、子ども自身は
金銭をもたぬ存在であったから、大人に買ってもらうことが大前提だった。ある面で、前出の
高山英男の言葉通り、「その成熟と共に大人たちに乗っ取られてしまった」とも言える人形
は、今や大人たちが自分のために自由に購入し、思い思いの楽しみ方を実践できるものに
なったのである。
以上、戦後大衆文化における人形の変容を考察してきた。現代日本の人形をめぐる状況
は、「ひとがた」に魂までも見る日本古来の伝統文化と、自らの手で作り上げる愉しみや蒐
集という悦びを獲得した戦後の若者文化、また随時さまざまに入る欧米文化などの混在と融
合であるといえるだろう。ひとがたとしての人形は、そのときどきの社会の移り変わりを、如
実に映し出す存在でもあるのだ。
いまだ低迷する経済と不鮮明な展望の日本社会において、人形の人気は当分衰えること
はないだろうと思われる。「ひとのかたち」をしてはいるが現実の人間ではない人形は、不満
を言うこともなく、あるときは自己の身代わり、あるときは他者の身代わりと自由に変化してく
れる頼もしい存在だ。映像メディアの氾濫する現代において、直接手で触れることによって
思いを込められる対象として、またコミュニケーションの媒介者として、ますます人形はその
位相と価値を広げていくのではないだろうか。
(以上、8.100字)
【註】
(註 1)人形検索サイト”Doll Circus“ http://www.3dcg.ne.jp/kaizoku/dollcircus/
(註 2)日本古来の人形については、アントニア・フレイザー『おもちゃの文化史』
195頁〜197頁を参照。
(註 3)80年代初期より、市販のプラモデルに飽き足らないマニアたちが、原型を作りシリコ
ン型から樹脂成型するという自作をはじめた。それらは自宅のガレージで作業する人
が多かったため「ガレージキット」と呼ばれ人気をはくし、その後のフィギュアブームと
も連動し今に至る。
(註 4)12インチフィギュア:1/6フィギュアとも呼ばれる。等身大の6分の1として12インチ
(約30.5cm)の大きさに作られた関節可動の人形。
(註 5)別冊宝島編集部編『「おたく」の誕生!!』7頁。
(註 6)高山英男監修『20世紀おもちゃ博物館』136頁。
(註 7)「共同通信」1999年7月13日付記事中のフィギュア原型師圓句昭浩の発言より。
(註 8)増渕宗一『リカちゃんの少女不思議学』130頁〜133頁。増渕は、アメリカ生まれの
「バービー」と日本生まれの「リカちゃん」両者の関連商品を比較し、そこに「パートナ
ー関係中心の文化」と「母子関係中心の文化」という日米の違いを読み取るなどの興
味深い研究をしている。
(註 9)『DOLL FORUM JAPAN』35号(2002年12月)、および36号(2003年3月)
(ドール・フォーラム・ジャパン編集発行)収録の対談より。
(註10)井上章一『人形の誘惑 招き猫からカーネル・サンダースまで』119頁〜121頁。
(註11)中江克己『おもちゃ戦後文化史―時代の証言者たち―』53頁および116頁。
(註12)別冊宝島339号『さよなら20世紀シリーズ1970年大百科』116頁〜117頁。
(註13)2003年8月21日現在、MSNショッピングサイト(http://shopping.msn.co.jp/)より
「ハートリカちゃん1499円」、「ラプンツェル・バービー2499円」など。
(註14)中江克己『おもちゃ戦後文化史―時代の証言者たち―』53頁。
【参考文献】
アントニア・フレイザー『おもちゃの文化史』和久洋三訳、玉川大学出版部、1980年
中江克己『おもちゃ戦後文化史―時代の証言者たち―』泰流選書、1983年
増渕宗一『リカちゃんの少女不思議学』新潮社、1987年
井上章一『人形の誘惑 招き猫からカーネル・サンダースまで』三省堂、1998年
高山英男監修『20世紀おもちゃ博物館』同文書院、2000年
宇山あゆみ『少女スタイル手帖』河出書房新書、2002年
竹森健太郎『「タカラ」の山―老舗玩具メーカー復活の軌跡―』朝日新聞社、2002年
『昭和二万日の記録』(第13巻・東京オリンピックと新幹線)講談社、1990年
別冊宝島編集部編『「おたく」の誕生!!』宝島社文庫、2000年
別冊宝島339号『さよなら20世紀シリーズ 1970年大百科』宝島社、1997年
『DOLL FORUM JAPAN』35号(2002年)および36号(2003年)
『フィギュア&ドールSTEP UP モデリングガイド』新紀元社、2002年
WEBサイト「現代ドールの基礎知識」 http://dollshow.hp.infoseek.co.jp/tisiki.html
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