《捏造された時間の魅惑―ヤン・シュヴァンクマイエル作品を巡って―》


 ヤン・シュヴァンクマイエルの名前を知ったのは、’80年代の終わりであったと思う。1987 年、ブラザーズ・クウェイのパペット・アニメーション『ストリート・オブ・クロコダイル』との衝撃 的な出会いがあり、やがてクウェイ短編上映会で『ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋』とい うオマージュ作品を観た。クウェイの分身である少年人形が、アルチンボンドの「司書」のよ うな姿をしたシュヴァンクマイエルの教えを請うというもので、秘密の宝物のきらめきと人形 たちの独特の身振りに満ち満ちた、実に魅惑的な短編だった。
 それからしばらくして、初めてシュヴァンクマイエル作品を観る機会をもったときには、や っと源泉にたどり着いたような想いがしたが、反対に期待が大きすぎた分、当てが外れた ように感じるところもあった。
 その最も大きな原因は、実写部分が思いのほか多かったことにあった。クウェイ作品 の、全て一コマずつ撮られたアニメーションで成り立つ緊密な時空間に魅せられた私は、 シュヴァンクマイエル作品に頻出する実写とアニメーションの切り替え映像の、実写部分と アニメ(コマ撮り)部分の微かな空気の差異が気になってしかたがなかったのである。実写 部分からアニメ部分に切り替わったときの、急かされるような圧迫感と張りつめた空気は 好ましかったが、反対にコマ撮り部分から実写部分へ切り替わったときの一種だらけたよ うな感覚に抵抗があったのだ。
 授業で観た『アリス』(1987)にも、実写とコマ撮りの併用が全編に渡って見られたが、もう 一つ例を挙げれば、1983年度作品のエドガー・アラン・ポー原作『陥し穴と振り子』がある。 この作品には、囚人が自分の縄をネズミに喰いちぎらせるというシーンがあるが、シュヴァ ンクマイエルはその決して長くはないシーンのなかでも、実写とコマ撮りを混在させている。 生きているネズミが鼻をヒクヒクさせている実写のアップと、多分剥製であろう3〜4匹のネ ズミが、縄のあたりをうろつく様子を上からコマ撮りしたカットが交互に繰り返され、その度 に否応なく違いを意識させられる。今回このレポートを書くにあたってビデオを久しぶりに 観賞し、違和感が大幅に薄れていることに気づいたが、人形アニメに熱狂していた時期に は抵抗がたいへん大きかった。このとき私が感じた、両者間の空気の違いとは何だったの だろうか。
 人形アニメのストップ・モーション=アニメーション映像は、自らは決して動かないモノを少 しずつずらして撮ったコマを連続して映し、人間の眼の残像効果を利用して、あたかもモノ 自体が動いているかのように見せるものである。一方、実写部分も映写時においては、同 様に残像効果を利用している。「…映画は、活動写真と呼ばれながら、その画像は、実際 にはまったく動いてなどいない。(…)映画とはそれを視神経が追いかけていくときの錯覚自 体を見る事にほかならない(註1)」のである。よって実写とコマ撮りの差異は、撮影時に自 ら動いていたか、あるいは人の手によって動かされたかの違いであると言える。しかし、さ らに考えていくと、両者の差異の根本は時間であることに気づかされる。
 実写の場合、被写体の時間というものは、撮影と映写の間にいったん細切れの静止画 像の集成に変換される。しかしそれは一秒間に18コマか24コマという緻密さで、ほとんどの 場合は等速で再生されるので、撮影時と映写時の時間の質はほぼ等しいものと考えられ る。厳密に言えば、撮影時の現実の時間とスクリーンに映し出される映像空間の時間とは 勿論違うものであるのだが、映像のあふれる現代において、私たちの目はそれらを等しい ものと認識するように慣らされてしまっているのである。
 それに対し、ストップ・モーション=アニメーションによる映像のなかを流れる時間は全く 独自のものである。それは現実を切り貼りして作られた時間、あたかも時間が流れていた かのように思わせる偽の時間、いわば捏造された時間なのである。例えば作品のなかで3 秒間に相当するシーンがあるとしても、撮影時の現実時間ではその何十倍、何百倍の時 間が流れている。時間を切り詰め、別の時間に仕立て上げるという意味においては、植物 の成長や開花を延々と撮影し、それを早回しで映写して見せる手法と共通するかもしれな い。どちらも科学的にはあり得ない時空間を提示するという点で、魔術的な手法と言える からである。
 シュヴァンクマイエル作品をはじめて観たときに感じた、実写部分とアニメ部分の僅かな 空気の違いとは、どのようなものだったのか。それを追究するために、コマ撮りされた映像 の視覚的特徴を考えてみると、「ぎくしゃく」感と「チラチラ」感が挙げられると思う。「ぎくしゃ く」感とは、例えば人形を歩かせるなど、動かない被写体を無理に自然に動かそうとすると きに現れる。反対に「チラチラ」感は、撮影時に本当は動いて欲しくないものが動いてしまう ことによって、それをアニメ撮影した映像がチラチラと微動することによって起こる。私は、 その後自分でも人形アニメを試みたのだが、「ぎくしゃく」感は当然のように予測していたも のの、「チラチラ」感の方は撮って再生してみて初めてわかるものだった。例えば、撮影時 に人形の髪の毛が微かになびいてしまい、その動きのとびとびの一瞬をカメラが捕らえる ので、再生するとチラチラと動いて見える。またレンズに侵入した埃や細かい毛が勝手に コマ撮りされ、チラチラした感じになってしまうなどというものだ。前述の『陥し穴と振り子』に は燃える炎を使ったシーンがあるが、アニメ撮影であるため炎の動きがチラチラと不自然 であり、またそれが異端尋問の恐ろしさを増幅して効果的でもあった。「ぎくしゃく」と「チラ チラ」は人形アニメの視覚的特徴でもあると同時に、その宝物のような魔術的時空間の最 大の貢献者でもある。
 以上はあくまで目で捉えた差異であるが、私は、コマ撮りと実写の空気の違いとはそれ だけではないように思うのだ。そこには単に視覚的なだけではなく、身体感覚的とも言える ような違いがある。強いて言葉にすれば、「急かされているような息苦しい圧迫感」と「だら っと弛緩した感じ」である。それらは前述した「時間の質の違い」に起因するだろう。それら は其々、「時間を捏造すべくモノたちが強制的に急かされたことによる圧迫感」と、「とりと めなくだらだらと続く現実の時間というものの一面」を端的に表しているとはいえないだろう か。
 これら二種類の異なる時間は、どちらか一方の時間のみに居るときには気づかない違 和感を、直列につなぐことでお互いに際立たせてしまうようなのである。このことは、暑い湯 と冷たい水、どちらか一方に長く入っていれば身体が慣れるが、交互に入ればその度に反 応してしまうことと似ているかもしれない。
 コマ撮りによって魔術的に捏造された時空間に魅惑される者は多い。初代キングコング やレイ・ハリーハウゼン作品などは、なかば伝説と化している。クウェイ作品によって、捏造 された時間の魅力に開眼した10年前の私は、「ぎくしゃく」と「チラチラ」から成るその魔術 的なきらめきにのめり込むあまり、コマ撮り信奉者になっていたのかもしれない。今回この レポートを書くにあたり、いかに過去の自分が、シュヴァンクマイエルという作家をきちんと 知ろうとしていなかったかを反省した。
 シュヴァンクマイエルのインタヴューやチェコの歴史などを読み、驚かされることの連続で あったが、まず彼は、自分をアニメーション作家とは位置づけていなかったのである。「… 私にとって興味深いのは、アニメーションの技術でも完全な幻影をつくりだすことでもなく、 日常的な物に生をもたらすことなのですから。(註2)」と彼は言っている。
 また、チェコ・シュルレアリスムの存在を初めて知ったこと、そしてシュヴァンクマイエルが シュルレアリスム・グループに参加したのが1970年であったことも衝撃的であった。私がシ ュルレアリスムというものを知ったのは1972年頃だったが、その時点ですでにシュルレアリ スムは美術史の一部、書きとめられ解釈済みの歴史の一頁という印象であった。
 「(シュルレアリスムは)ある一定の精神的志向であって、1924年のシュルレアリスム第一 宣言とともにはじまったわけでも、第二次世界大戦(ないしはブルトンの死)とともに終わっ たわけでもないのです。シュルレアリスムは、錬金術や精神分析と同じように、魂の深みへ の旅なのです(註3)」
 これまで、シュルレアリスムは現代において拡散し普遍化されてしまったと捉えていた が、シュヴァンクマイエルの確信に満ちた言葉とともに眼をみはるようなコラージュ作品の 数々を前にして、自分の認識がいかに一面的なものであったかを知った。
 <シュルレアリスト>ヤン・シュヴァンクマイエルは、モノの材質感やそれを触ったときの 触感、ひいては内臓感覚とも呼ぶべき身体感覚にとらわれた作家である。彼は、観るもの に感覚的戸惑いを与えることを充分承知の上で、実写とコマ撮りの混在あるいは直列つな ぎを行なっているのかもしれない。シュヴァンクマイエルの強迫観念である「不正操作」とい う言葉は、実は彼自身によってなされ、操作されるのは人形やモノたちでなく、観る私たち なのではないだろうか。
 

    《註》
(註1)『別冊宝島30 映像メディアのつくり方』(JICC出版局、1982年)172頁。
(註2)『夜想34 特集パペット・アニメーション』(ペヨトル工房、1998年)74頁。
(註3)『シュヴァンクマイエルの世界』(国書刊行会、1999年)72頁。

   《参考文献》
『夜想34 特集パペット・アニメーション』ペヨトル工房、1998年
ヤン・シュヴァンクマイエル『シュヴァンクマイエルの世界』
                       赤塚若樹訳、国書刊行会、1999年
伊東孝之/南塚信吾/NHK取材班/アレクサンデル・ドゥプチェク
               『社会主義の20世紀』 日本放送出版教会、1990年

   《参考ヴィデオ》
『シュヴァンクマイエルの不思議な世界』タゲレオ出版、86分、1999年
      

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