情報論b課題

《自己の作品を例示し、それの成立、制作過程における情報の役割について論じる》
 



 はじめに、完成作品を例示する。これは、グラフィックソフトのAdobe Photoshop6.0を使用 した2Dのコンピューターグラフィックである。「絵と言葉」展という小規模の展示のために作 った6枚のなかの一枚であるこの絵は、2種類の手描きの下絵をスキャナーによりパソコン に取り込み、画面上で合成し完成した。次ページに、素材となった2枚の下絵を例示する。

【夢語りU】

【下絵A】

【下絵B】

   左の【下絵A】は、2002年10月のもので、娘がパソコンで作業しているところのスケッチ である。まず、この図を取り込み、新規画面の右下に配置した。はじめ右手はマウスを握 っているポーズだったため手のひらを下に向けたものだったが、絵の主人公となるこの少 女像から周囲に広がりを持たせるため、手のひらを上に向けることにした。【下絵A】の上 部にある手のスケッチは、自分の左手を鏡に映し、右手としたものである。右手で描くため 通常は自分の左手しかモデルにできないが、鏡に映せばそれは左手になることにあるとき 気づいた。手の表情は繊細なので、他人に頼むより、自分の身体を使う方が思い通りのポ ーズが得られる。
 この時点で、少女の手のひらから他のモティーフが舞い上がるという構想がほぼ固まっ た。そこに当てはめるための素材として選んだものが【下絵B】である。
 さて、この【下絵B】が描かれたのは、今から25年も前である。1977年、美術を志しながら いわゆるアングラ劇団に所属していた当時、麻布十番の喫茶店でアルバイトをしていた。 客の来ない時、いつも店の伝票の裏表紙にボールペンでいたずら描きをしていたが、気に 入ったものはアパートに持ち帰りしまっておいた。もとの紙はわら半紙だったため、10年も 経つと黄ばんでボロボロになったが、あるとき思いついて4枚を並べてコピーし、そのコピー がまたその後15年ほどしまい込まれた。昨年、パソコンで創作を本格的に始めた際に、昔 の作品やスケッチなどを大量にスキャナーで取り込み、CD-Rにデータとして保存した。こ れはその中の一枚であり、数度の引越しや結婚などを経て幸運にも生き残った画像であ る。
 【下絵A】と【下絵B】はともにスキャナーで取り込んだことによって、アナログの画像情報 であったものが、デジタルの画像情報に変換されたと言える。そして、1977年に描かれた 絵と2002年に描かれた絵という、四半世紀を隔てた二つの紙媒体が、共にデジタル化され たことで同じまな板の上に対等に並んだとも言えるのである。
 さて、これらの二種の画像を合成・加工するための強力な武器が、Adobe Photoshopで ある。グラフィックソフトのPhotoshopは画像加工ソフトでもあり、写真画像のレタッチにも使 われる。デジタル化された画像を、まず範囲を指定し、次にその範囲内を加工する。加工 の種類は、移動、変形、描画、着色、テクスチャーなどのフィルターがけ、そして合成などで ある。変形は、拡大・縮小、複写、回転、左右や上下に逆転、その他ゆがみなどを施すこ ともできる。グラフィックソフトの描画法は、大別してビットマップ形式とベクトル形式があ る。Photoshopはビットのひとつずつに情報をもたせるビットマップ形式であり、これをペイ ント系グラフィックソフトと呼ぶ。これに対するのは同じAdobeのIllustratorなどドロー系と呼 ばれ、ベクトル形式で方向指示の描画をするため拡大してもビットのギザギザが出ない。
 これらのグラフィックソフトに共通する大きな特徴は、レイヤー機能をもつことである。ア ニメのセルと同じく、透明なレイヤーを何枚も重ねるこの機能は、背景と個々のモティーフ などを別々に管理し、別個で加工や変形を施すことが出来る便利なものである。
 これらの機能を使い、【下絵B】より4人の人物の外形を選択ツールで囲い込み、移動ツ ールで少女の左上に取り入れた。ひとつの形を取り込むごとに、自動的に新規レイヤーが 作られるので、少女と4人の人物(夢魔と表現したが)で合計5枚のレイヤーが重ねられて いることとなった。また、全体の奥行き感を表現するために、5枚の一番下にもう1枚レイ ヤーを置き、背景の暗がりと少女の影とを描いた。ここまでの状態は、以下のようなもので ある。
【レイヤーの状態図】

 このレイヤー機能を駆使して、イメージ通りの絵に仕上げていくこととなる。全体のバラン スを見ながら個々のモティーフの位置を変えたり、それぞれ彩色しながら立体感を与えた りする。完成図で一番右に位置する夢魔(少女の幻影)の場合、腰と脚を一度切り取り、左 にカーブするように付け替えてから境目を指先ツールでなじませた。指先ツールは実際に 絵の具を指でこすりつけたような効果が得られ、CGツールのなかでも非常に重宝するコマ ンドのひとつである。私のような画風の場合は、エアブラシツールと指先ツールで全てを仕 上げると言っても過言ではない。ただしこの二つのツールは、一括の塗りつぶしなどと比べ るとひとつひとつのビットに伝える情報の計算が複雑であり量も多いため、充分な性能と容 量をもつコンピューターでないと使いこなせない。以前、古い小さな家庭用パソコンでグラフ ィックソフトを使おうとした時は、ストレスがたまるばかりであった。実際の指やエアブラシの 作業と同じスピードで命令情報が画像に伝えられ、瞬時に結果が反映されるからこそCG の意義をもつのだと思う。
 さて、このような作業を経て絵が完成した。少女の手のひらから舞い上がる夢魔たちの 幻影ということで、4人の人物像は下半身がけむりと化したが、顔は描かれた当時のまま であり、彼らは四半世紀を経て甦ったとも思えるのである。また、少女のモデルである娘 は、私が伝票の裏に絵を描いていた当時と同じ21歳になり、これまた同じく美術を志してい る。完成した直後に入れた「そのとき、私の手のひらから、なつかしい夢魔たちが次々に現 れて・・」という左下の文章は、無意識のうちに様々な意味を込めたものであったと思う。絵 を描き始めた当初や作業の最中には思いもよらなかったが、このように制作過程を分析し てみることによって、一見自由奔放な創作のなかに潜む必然性の片鱗を見出すことができ た。
 最後に、実際に絵の具などを使って自分の手だけで創作をすることと、コンピューターグ ラフィックを使うこととの差異について考えてみたい。どちらも表現という意味においては同 等である。「こういう世界が作りたい」という強い意志がなければ、環境はどうであれ良いも のは出来ない。大きな違いは、コンピューターグラフィックは、その制作過程において客観 的な比較が容易であるということではないだろうか。手描きの場合は、初めから完成図を 頭に描いて、それに向かって仕上げていくことが一般的であると思う。私もそうであった。し かし、頭に描く構想と実際の作業上とでは、何かが違うことが多々ある。そのような時、紙 媒体に描いたものは修正や応用が難しい。その点、デジタル化された画像では、心行くま で位置をずらしたり、大きさを変えたり、明確にしたり反対にぼやけさせたりできるのであ る。まるで演劇を楽しむかのように画中人物を動かし、さまざまな関係性を模索し、自分の 直感にぴたりと合う構図を見つけ出すことができる。
 手描きの場合はどこか真剣勝負のような生真面目さがつきまとうが、コンピューターグラ フィックの作業には、良い意味で遊びの要素がはいり込む。それは決して不真面目やいい 加減な態度という意味での遊びではないのだ。創作や表現には、直観的な精神の自由が 必要であるが、それはそう簡単に手に入るものではない。自由だと思いつつも、社会や歴 史に規定される存在である人間にとって、遊びとは必要不可欠なものなのではないだろう か。私にとって、コンピューターグラフィックの最大の魅力とは、そうした真の遊びと精神の 自由を実感できるところにあるのだ。

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