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《近現代美術から2つの流派/思潮を選び、実際に接して考察する》
テキストで触れられている流派、思潮のなかから、ひとつめに日本の60年代の美術を
選んだ。
60年代初頭は、15年続いた「読売アンデパンダン展」の終盤であり、「反芸術」の精神
を持ち個性と若い力にあふれた多くの作家が活動した時期である。アンデパンダン展は
1963年に終焉するが、そこを通過した作家たちは、その後も各々の道をそれぞれの方
法で突き進んだ。
関連する作品として、それらの作家のなかの一人である工藤哲巳によって1968年に作
られた、《若い世代のために−繭は開く》を選んだ。見た場所は、木場の東京都現代美
術館で、「日本の美術、世界の美術−この50年の歩み」と題された常設展の2002年度6
月期の展示である。1945年からおよそ30年間の美術の展開を6つの部屋で表した一階
部分の、第3室「反芸術的傾向1960年代」の入り口近くに置かれた工藤の作品は、中西
夏之、菊畑茂久馬、三木富雄らの個性的な作品が並ぶ同室のなかでも、強い異質性を
感じさせる。
古びたベビーカーに、薄汚れて白くごつごつした大きな繭が乗せられている。繭は縦に
ぱっくりと割れて、その隙間から閃光が3秒ほどの間隔で放たれている。その光に誘われ
て繭の中を覗くと、半透明の樹脂で作られた人間の臓器のようなものが見え、また繭の
外皮の内側に無数の注射針が突き立てられているのも見える。繭の割れ目からは2本
の赤いチューブが伸びていて、床にも置かれた二つの樹脂の大きな臓器に繋がれてい
る。
ベビーカーには針金とハンカチで作られた簡単なパラソルが立てられ、またどこにでも
あるような大きめの紙袋が下げられている。このパラソルと紙袋も含め、ベビーカー本体
と繭の割れ目は一律にピンクの塗料で大雑把に彩色されているが、この作品のモチーフ
はこれまでに述べたものだけではない。ピンクに塗られていない一連のものが添えられ
ているのだ。
そのものとは、一見、ベビーカーの柄からぶら下がっている不要物のようでもあるが、
よくよく見ると、柄を押している女性がミイラ化したものなのである。干からびて、縮んで
黒っぽく変色したそのものは、顔かたちは勿論のこと四肢の見分けにも苦労するほどで
ある。特に腰から下の部分は、古い印刷物らしい紙の断片から成っており、その一部分
の先に黒いハイヒールの片方が置かれ、別の側に足の甲の断片が据えられていること
によって、かろうじて一つの人体を表したものと判明するのである。
1968年に作られたこの作品は「読売アンデパンダン展」に出品されたものではないのだ
が、その表現形態を言い表すならば、やはり、赤瀬川原平が著作『反芸術アンパン』の
なかで使っている「ガラクタオブジェ」の言葉が相応しいように思われる。
現在なら「インスタレーション」と呼ばれるであろうこの作品形態を、絵画平面から突き
出したものが次第に増殖し、ついに床に降りて自立したと赤瀬川は『反芸術アンパン』の
なかで解釈している。またその突き出したものは、そのまま当時の若い作家たちの過剰
なエネルギーであったとも云う。そのエネルギーとは、戦後いち早く復活した日本におけ
る画壇制度への反発でもあり、また60年代に流れていた、安定しつつある社会の現状へ
の懐疑でもあった。工藤はそうした作家たちの代表とも言える先鋭性と一貫性を持った
表現者である。
工藤哲巳は、63年の第15回アンデパンダン展を最後にパリへ行き、先進国の科学技
術文明に警鐘を鳴らすような作品を数多く作った。それらには人体の断片が常に登場
し、見る者に直接的な衝撃を与えた。この《若い世代のために−繭は開く》は、そうしたな
かにあって、なお未来に一筋の望みをつなぐ明るさをテーマに据えている。しかし、臓器
やチューブ、注射針などは、過剰な医療技術の虚しさや恐ろしさを暗示するようでもあ
り、何よりも母親らしき女性のミイラはメメントモリを思わせながらも、やはり全体としての
印象はグロテスク、おぞましさといったものである。
この工藤作品に顕著なグロテスク、おぞましさは、その後、芸術がアートとなって分化
と拡散を強めた90年代においても、デミアン・ハースト、チャップマン兄弟などの立体作
品、またJ・P・ウィトキンやナン・ゴールディンなどの写真作品においてさまざまに追求さ
れる。時代とともにエイズやジェンダー、またセクシュアル・マイノリティーといった新しい
観点をも織り込みながら、視覚的直接的に強度の衝撃を放つグロテスク、おぞましさは、
芸術表現が社会に対してもつ力を、60年代の工藤の作品の頃から変わらずに保持して
いるのではないだろうか。
もうひとつの流派、思潮としては80年代の動向に挙げられる新表現主義を、その作品
としてはドイツのアンゼルム・キーファーの《イカルス・辺境の砂》(1981)を選んだ。見た
場所は同じく東京都現代美術館で、2002年度6月期の常設展示第9室、「物語をつむぐも
の」と題された一角である。同室には、ジュリアン・シュナーベル、草間弥生、クリスチャ
ン・ボルタンスキーなどの作品が置かれ、他の部屋より一段おとした照明の下で各々の
物語を静かに開示していた。
キーファーのこの作品は、壮大かつシンプルな表現である。290cm×360cmの大画
面に、地を表わすパステル調の茶と白、そこに黒で大胆に描かれたイカルスの墜落、そ
してあちこちで上がる火の手は薄いピンクで描かれている。この白と黒と茶とピンクという
限られた色味の色調によって、キーファーはギリシャ神話とドイツの戦争の記憶とを大画
面に二重写しにする。
この作品を鑑賞するのは初めてではないのだが、接した瞬間に受ける衝撃は、いつに
おいても強度を保っている。それは具象と抽象のちょうど中間に位置するような、そして
絵画表現のもつ力が最大限に発揮されているような作品に接した衝撃と言えるかもしれ
ない。
例えばイカルスの墜落現場である。黒一色で縦に何本も引かれた線は、画家の腕に込
められた力の強さ、延いてはこの絵を描こうとする意志の強さをそのまま表わしている。
ところどころかすれたそれらの線は、イカルスの翼とも、また地面に激突した瞬間の土埃
とも思われ、説明し過ぎることなく墜落という取り返しのつかない惨劇を見る者に了解さ
せる。また、画面に点在する薄いピンクは、パレットナイフで絵の具を潰すように描かれ
たものだが、それらの涙のしずくの形は墜落による火の手であると同時に、死者たちの
魂のようにも見える。いずれにせよ、印刷物にすると白く消えてしまうほどの繊細な淡い
ピンクのその形は、色そのものとマチエールの美しさを発揮するとともに、上方に向かう
ほど小さく描かれることによって大地の広がりを表わす重要な役目も負っている。
キーファーは、70年代までの主流となったミニマル・アートやコンセプチュアル・アートへ
の異議申し立てとして捉えられる新表現主義の筆頭に挙げられる作家だが、その表現
の本質にはどのようなものが存在するのだろうか。
キーファーが好むギリシャ神話や北欧神話のモチーフは、ユングの言う共通無意識とし
て見る者のなかに畏怖と郷愁の感情を呼び起こす。また、それぞれの国が抱える戦争
の記憶も同じように、このせわしない現代社会の日常において、ひととき立ち止まり、人
間存在の陰の部分に思いを至らせるような力をもつ。決して説明し過ぎることなく、また
そうであるからこそ、接した者たちに様々な物語を暗示するキーファーの作品は、その一
方で、絵画表現における色と形そのものの美をも充分保っている。
アンゼルム・キーファーの80年代の絵画作品は、イメージの喚起という絵画の原初的な
役割りと、意味というものから離れようとした絵画の純粋化としての抽象表現の歴史の成
果とを、併せ持つものと言えるのではないだろうか。
《参考文献》 赤瀬川源平『反芸術アンパン』(ちくま文庫、1994年)
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