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《ある芸術作品、あるいは作家との出会いについて》
芸術作品および作家との出会いは数多く様々にあるが、そのなかで最も強い衝撃を受
けた出会いは、その最初のものである。それは、中学三年の時の美術の教科書に載って
いた、ダリの『記憶の固執(柔らかい時計)』であった。出会いの強い衝撃は、その場限り
のものではない。それは、美術や芸術が私の存在証明となるすべてのはじまりであった
し、同時に思春期の閉塞状況の壁に開いた扉でもあった。
それは、大阪万博の翌年であった。学年の半数近くが県立のトップ校に合格するとい
う、特殊な環境の中学校に通っていた私は、家庭と学校の両方の場で、絶望的な居心地
の悪さを味わっていた。
「柔らかい時計」との出会いの最大の重要性は、それが、初めて周囲の価値観から自
分を切り離すことに成功した独自の美的体験であったことにある。「美とは呼ぶものであ
る」の言葉どおり、私はその絵に呼び止められ、招き入れられたのである。
佐々木健一『美学辞典』の「美的体験」の項には次のようにある。
「われわれの精神は常に何かを捉えようとしている。特定の目的があって、それを求め
ているわけではなく、あらゆる可能な発見を注意深く待ち受けているのである。そこで、美
的体験は出会いであり、《開いた体験》という性格をもつ」(注@)。
この《開いた体験》の「開いた」とは何を指すのだろうか。ひとつは、特定の目的を求め
ていないという、開いた精神状態、言い換えれば期待感のなさを言うのではないだろう
か。当時の私にとってのダリの絵は、無防備な精神状態へ持ち込まれた強度の大きな異
質性という存在でもあったのだ。
そして、《開いた体験》の「開いた」には、もうひとつの側面がある。前述した体験時の開
いた精神状態、時間的に捉えれば体験の前の「開いた」状態に対して、体験の後の「開い
た」状態である。現実の体験が時間的区切りを持ち、閉じられたものとして意識されるの
に対して、知的体験・美的体験とはそこで完結せず、持続するものなのである。美的体験
は、古くは美意識または美的意識と言い表され、美的経験ともいわれることが『美学辞
典』では指摘されている。「経験の過去的な意味合いを嫌い、体験の全実存的な関与の
語感をよしとする(注A)」の言葉どおり、美的体験とは、美に対する意識や態度へ関与し
続け、言わば扉を次々に開いていくという力を持つものなのではないだろうか。
「柔らかい時計」の絵によって扉を開かれた私は、澁澤龍彦の『幻想の画廊から』、パト
リック・ワルドベルグ『シュルレアリスム』、そしてダリの『天才の日記』を愛読するようにな
った。十五、六才の理解力には難解な文章が多かったが、図版に浸りながら何度も読む
うちに、ところどころ身体として了解したようである。
キリコ、タンギー、マグリット、デルヴォー、バルテュスと、画家の世界が広がり、それぞ
れの美的な味わいの違いを認識した。またエルンストのコラージュや、「優美なる屍骸」な
どのシュルレアリストの実験的行為から、言葉のシュルレアリスムや、イメージと言葉の融
合の面白さも体得した。
やがて模倣が始まり、自動筆記やシュルレアリスム風デッサン、コラージュなどを試み、
そのことによって了解も深められた。ダリとの最初の出会いの中学三年から高校三年ま
での期間は、それらの自分なりの探究と、心惹かれるもの、つまり自分にとっての美的・
芸術的なるものの開拓に費やされた。澁澤の本にはエッシャーの版画やベックリンの「死
の島」、そして郵便屋シュヴァルの宮殿など、シュルレアリスム以外にも惹かれる作品が
多く存在したのである。
その頃の美術的な状況としては、国立近代美術館でマグリットの大回顧展が行なわれ、
また青木画廊で四谷シモンの人形展が開かれたのを記憶している。
書物のみでなく、様々な場所に出かけることもしたが、時として、美の享受が期待通りに
いかないことに戸惑いも覚えた。そして時と共に理解したことは、こちらが求め過ぎてはい
けないということであり、美とは、一筋縄では行かないものだということである。偽ディオニ
ュシオスの「美とは呼ぶものである」という言葉に、私が強い共感を覚えるのは、そのよう
な試行錯誤の経験を通してのことなのだ。考えるに、美や芸術に関わってゆくということ
は、美からの「呼ばれ方」の術をみがくということでもあるのではないだろうか。
さて、これまで書いたように、「柔らかい時計」との出会いは、私の外の世界への扉であ
ったと同時に、自らの内なる世界の扉でもあった。では、この決定的な出会いとなったダリ
の絵から、私は何を受けとり、何を学んだのか。受けとったものは美であるとも言えるが、
その美はどのようなものであったのだろうか。
私が受けとった最大のものは、精神の自由である。自分の内面に、いかなる他者にも
関与されない無限の領域が潜在し、自分の努力次第で開拓できるという発見は、全てに
おいて「・・ねばならぬ」という家庭環境の下にあった私にとって、救いの道となった。百人
余の同級生が、ほぼ同時期にいっせいにダリの絵に接したなかで、それが私に及ぼした
力の計り知れぬ大きさは、そのような状況に深く関わってもいたのである。
そして、そのようななかで私が感受した、美の大きな要因は次のものである。それは、一
見新奇なダリの絵の、確固たる基盤となっている古典技法なのである。当時の教科書は
手元に残ってはいないが、現在の中学生の使うものにも同じ絵が載せられている。「現代
の美術T」と題して、二十世紀前半を概観する見開きには、セザンヌ、マティス、ブラック、
モンドリアン、ピカソ等の作品とともに『記憶の固執』がある。私の出会いもこのような構成
の下であったと憶えているが、ここで気づくのは、ダリの写実的な古典技法の新鮮さなの
である。並ぶ作品のなかで、そこだけぽっかりと穴が開けられたように、空間が描かれて
いる。当時の私にとってのこの絵の最大の魅力は、異質性にではなく、この空間にあっ
た。画面が切り開かれた窓であり、その向こう側には静謐な、誰からも傷つけられぬ世界
が広がっているように思われたのである。そのとき私の身体は、実際、その絵のなかにあ
ったのだ。
この作品は、実物も24cm×33cmと小品であるが、教科書の図版では更に縮小さ
れ、一辺が10cmにも満たない。この限られた平面に「広漠たる無限感(注B)」を封じ込
めるダリの業は、様々な古典的技法に裏打ちされている。まず、この絵では、左手前と後
方に置かれた台の辺の線遠近法によって、奥行きが強調される。また、遠景の入り江ま
での地面の色の変化および海と空には、空気遠近法が使われ、奥行きは更に広がる。そ
して柔らかく垂れ下がった時計と遠景の崖においては、明暗法による立体的な陰影が、
劇的効果を上げている。
これらの古典的技法によって表現されたダリの遥かな景観に、私は呼び止められ、強く
惹きつけられた。ダリによって創られた空間と奥行きは、前景に置かれる奇異なものたち
の魅力とも違い、より普遍的で絶対的な存在である。
私はそこに、「社会」との対比としての「世界」を認識した。「世界」は、未知の恐るべきも
のであると同時に、たいへん寛容でもあった。
ダリの絵において私を捉えた美は、そのような「世界」に対する畏怖の念と、深い郷愁の
入り混じった想いを残したのである。
【注】
@ 佐々木健一著『美学辞典』(東京大学出版会,1995年)227頁
A 同上書・229頁
B 澁澤龍彦著『幻想の画廊から』(美術出版社,1967年)101頁
【参考文献】
『美学辞典』佐々木健一(東京大学出版会,1995年)
『幻想の画廊から』澁澤龍彦(美術出版社,1967年)
『美術2・3下 調和と広がり』平成8年検定済中学校教科書 日本文教出版株式会社
『ヨーロッパ美術史』野口栄子・松原哲哉(京都造形芸術大学,1998年)
『芸術学特講』上村博(京都造形芸術大学,1998年)
『美と詩の哲学』渡邊二郎(放送大学教育振興会,1999年)
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